『月がきれい』には、無口キャラは存在できない。
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- メディア: Blu-ray
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『心が叫びたがっているんだ。』で少し触れた、台詞を「声」ではなくてメールやSNSなどの「文字」で伝える方法は、今季では『月がきれい』でかなり組織的に用いられています。岸誠二監督作品であり、オリジナル作品で、セルルックアニメでCGを多用している『月がきれい』はアニメーションというメディアから見ても面白い作品で度々、話に挙げてきました。
実写作品と異なりキャラクターの顔はすぐに意味(喜び、笑い、怒り、悲しみ、無表情などなど)に回収されてしまいがちなので、キャラクターは都度、繊細な心を言葉で説明してしまいます。モノローグがアニメに多いのは表情の運動を描くのに非常に高いレベルのセンスが必要になるから、と言えると思います。(例えばエヴァンゲリヲンの有名な台詞に「どういう顔をすればいいかわからないの」というのがありますが、あの表情は意味に回収されないがゆえに名シーンなのだと思いますし、2000年代の京都アニメーションの作品は表情の運動がとても繊細です)
つまり実写作品では表情で心情を表象できますが、アニメーションでは表情と言葉によって心情を表現しようとするので、アニメーションは映像でありながら言葉に溢れています。
それゆえに「無口キャラ」というのが流行るわけで、また『心が叫びたがっているんだ。』はこれらの文脈を踏まえて戦略的に「無口キャラ」の物語を作っています。成瀬順は台詞を喋ることは禁じられていますが、「歌」と「文字」で自分の心を表現しようとします。これはどちらも言葉です。それゆえ成瀬順はそれさえも禁じられるのですが、同時に坂上拓実との対峙では彼は本音を言えない自分を成瀬順と重ねます。声がキャラクターにとって借り物であるというのはドゥルガ一号に拙いながらも書いたのですが、つまり言葉=心という図式がそこでズレて坂上拓実は自身の名前を呼ぶ成瀬順の声に涙を流すのです。
『月がきれい』では「歌」は挿入歌で音楽教師を演じる東山奈央さんが歌っています。しかしそれは音楽教師が歌っているという描写ではないので、より「文字」のほうに重点を置いています。先日、高野文子著の『黄色い本』読書会を文芸サークルpabulumの方で開きましたが、あれも漫画という媒体に台詞ではなく文字として言葉がでてきますが、もちろんアニメーションでの文字とはまた異なる役割を果たすと思います。それはやはり沈黙でしょう。『月がきれい』はとても静かなアニメーションです。そのためこの作品には「無口キャラ」が存在する余地が殆どありません。会話も実に単純なもので、そのために度々引用される文学者の言葉が差異化され、小説家志望の安曇小太郎が書く文字がどのように描かれるかで、この作品の印象がだいぶ変わるのではないかと思います。
(鯵)