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ボクサーとしての属性 

  矢吹丈というボクサーの属性は、「ケンカ」や「野生児」といったような、既成のボクサーのスタイルを異化し、彼が正統から外れた存在であることを表すようなものを付与されています。それは、ジョーがボクシングを始めるに至った経緯や、彼の並外れた才能を踏まえてのことです。そのため、読者は当初、プロデビューしたジョーはひどく個性的なボクサーのように見えるでしょうし、実際、物語的にも、非凡な才能を持ち、正当なルートから少し逸したようなやり方でプロライセンスを取得しているために、一層そのような印象を強く持つでしょう。

しかし、様々な相手と対戦するに従って、ジョーのボクシング技術は当然のことながら向上していきます。そのため、段々とボクシングスタイルも、正統に近づきますが、そもそもジョーは、丹下団平によってはじめから正統なボクサーとして育てられていたのですから、彼が読者にもたらしていた異化作用は、物語冒頭の「ならず者」としてのジョーの名残によるものだと言えるでしょうし、さらにいえば、ジョーのボクサーとしての歩みを事細かに知る由のない観客が、未知の存在である彼を語り得るものにするための便利な表象としてそれらの属性は用いられています。

そのため、ジョーの成長はボクシングに馴染むことであると同時に「ボクシング」に対して与える異化作用を鎮静化させ、それによってジョーの個性をそれまで担っていた「属性」は次第に目立たなくなり、時折思い出したかのように実況や観客がそれを口にするにとどまっていきます。

物語がそれまで対戦してきた相手に対する「負い目」やボクシングそれ自体に対する狂おしいまでの情熱をジョーが抱いていたことを提示することで、読者は属性に還元しえないものをジョーにみることになるでしょう。このとき、ジョーは幾つかの属性を縫い合わせた、かませ犬のようなボクサーではなくなり、代替不可能なひとりのボクサーとしてリングに上がっているのです。

 確かに物語は様々な属性をキャラクターに付与します。しかし、その属性は必ずしもキャラクターの自己同一性を担保し続けるとは限らず、その属性のゆらぎや消滅によってかえってそこに「リアリティ」を感じる場合も考えられます。

 しかしながら、まずもって問題なのは、属性の付与からそのゆらぎ、消滅を動かすものは何によってなのかということですが、このことについて詳しくは秋文フリで書こうと思っています。恐らくこの作品に触れることはないと思いますが、「魔法少女」と「日常系」に関する問題の磁場を、別のジャンルの作品にも共鳴させることが出来るように、次号は書いていこうと勝手に考えています。