web版アニメ批評ドゥルガ

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アニメに纏わる記事を書いています。定期更新は毎週水曜日。毎週担当者が異なります。

『ラブライブ!サンシャイン!!』第二期、第一話を見て

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!』の二期が放送開始となり、早速第一話を見ました。前作と同様に、もはや不可避となったかにみえる母校の統廃合という事態に対して、Aqoursによるスクールアイドル活動を通じて、どうにか「奇蹟」を起こそうと奮闘する物語が始まったのだということを改めて感じました。第一期では、彼女たちがスクールアイドルを始める契機であり、彼女たちの目標としてあったμ’sに近づきたいと思いながらも、彼女達自身が「輝く」ために、あえてμ’sとの差異を受け入れるという物語を経ています。そのせいもあってか、二期の一話においてμ’sの影は見当たりません。彼女たちは既にして彼女達自身の物語の時間を生きています。
サンシャイン!!の第一期を見た時、μ’sの物語を見ていた時とは明らかに違う何かを感じていましたが、第二期の一話においてはこの「何か」がごっそり欠落しているように私は思います。この「何か」を正確に言い表すことは出来ないのでしょうが、そのことを考えるヒントとして、先程挙げたμ’sAqoursの間にある「模倣」の関係に注目してみましょう。
ラブライブ!』と『ラブライブ!サンシャイン!!』は共に中心となるメンバーが「スクールアイドル」と出会うということが、物語の契機となっています。しかし、同じような説話論的構造のように見えて、両者には隔たりがあります。それは「模倣」を志向するか否かです。前者においては高坂穂乃果が「A-RISE」というスクールアイドルと出会うことによって物語が始まりますが、このときに彼女が出会うのは「スクールアイドル」という制度であり、ここでは「スクールアイドル」という言葉は物語上いかなるコンテクストも持たず、A-RISEという特権化されたスクールアイドルが、その語の使用に対して絶対的な権威を保持しているという構図が示されるのみです。このとき、「スクールアイドル」という制度はまだ母校を救う手段として適切であるかはわかりません。そのため、物語の冒頭においては模倣の対象であったA-RISEは、メンバーが揃うとすぐさま母校を救う手段としての「スクールアイドル」という物語を書き込んでいくために、倒すべき敵対者(ライバル)へと変化します。その結果、ラブライブでA-RISEを倒したμ’sは劇場版において、「スクールアイドル」の象徴的存在となった後解散し、μ’sの物語は神話化されます。
ラブライブ!サンシャイン!!』はこのような「スクールアイドル」が廃校になりかけた母校を救うための手段として示された物語の上に成り立っています。そのため、高海千歌μ’sを初めて見る場面の意味は、高坂穂乃果がA-RISEを見た場面と説話論的機能は同じであっても、その効果は異なると言えます。サンシャイン!!においては既に「スクールアイドル」という言葉は、μ’sという強度の強い物語のコンテクストの中にあります。そのため、Aqoursは、μ’sが辿った道を模倣することによって、「スクールアイドル」のコンテクストに巻き込まれていこうとするのです。
しかし、強烈な「スクールアイドル」のイデア的存在であるμ’sに近づこうとすればするほど、Aqoursμ’sの差異は際立っていきます。このとき、Aqoursは「スクールアイドル」のイデアとしてのμ’sから、「スクールアイドル」としての正当性を無言の内に無底化しようと彼女たちに迫ります。つまり、何が真の「スクールアイドル」なのか、自分たちは悪しきコピーに過ぎないのではないかという問いが、μ’sとの距離において顕在化するのです。このようなプラトン的な問答法(弁証法)に対して、Aqoursはモデル‐コピーの関係から自らの固有性を発見することによってそこから逸脱し、「スクールアイドル」の同一性を堅持するイデアとしてのμ’sの絶対性を揺るがせにするような「スクールアイドル」のシュミラークルとなることによって、自らの「スクールアイドル」としての正当性を担保するのです。恐らく私が感じていた「何か」はこのμ’sとの距離にあるのではないかと思っています。一期の冒頭において示されたように、彼女たちもまた、視聴者と同じようにμ’sが築き上げた物語を認知し、そのコンテクストの元で共に生きているという感覚を与えることが出来るような「近さ」がある種の「リアリティ」を彼女たちにもたらしていたのではないでしょうか。
しかし、μ’sからの逸脱が果たされたはずの第二期の一話においては、μ’sの影が消え、彼女たちの「スクールアイドル」としての物語を生き始めたという点において、彼女たちは我々からは遠ざかりはじめています。その意味において、彼女たちはμ’sと再び接近しつつあると言えるでしょう。しかし、「奇蹟」の物語は既にしてμ’sによって語られている以上、再びその物語を語り直すのであれば、単に何度も消費可能な「奇蹟」のシュミラークルとなってしまう可能性を否定することは出来ません。そのため、彼女達がどのようにして一回きりの物語を強く生きてゆくのかについてを今後楽しみに見ていきたいと思います。

(錠)

 

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