web版アニメ批評ドゥルガ

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アニメに纏わる記事を書いています。定期更新は毎週水曜日。毎週担当者が異なります。

玉子と王子・声と文字の『心が叫びたがってるんだ。』

心が叫びたがってるんだ。』のネタバレ注意!

 

先日、三回目の勉強会を行いました。

A-1 Pictures制作 超平和バスターズ原作の『心が叫びたがってるんだ。』を一緒に見ていきました。

わたしがレジュメをつくったのですが、話すことを念頭においていたので、ブログのほうには図を入れて説明していこうと思います。

www.kokosake.jp

 

 

 

 

 基本的には、お話の分析です。

 

 

物語論的アプローチ

ナラトロジー分析などがある物語論のなかの説話論ですが、たとえばウラジミール・プロップの『昔話の構造分析』や精神分析科医オットー・ランク『英雄神話の誕生』などに代表される一種の構造分析です。彼らは多くの物語に共通される要素を見つけ、一つながりの物語を分節化して、キャラクターやアイテムなどを一定の機能に還元する見方をとりました。日本だと蓮實重彦『小説から遠く離れて』や大塚英志『物語の体操』が有名です。

ここで採用したのはネットでも有名なグレマス行為者モデルです。グレマスはリトアニア生まれのフランス文学研究者で、主著に『意味について』があります。

 

 

意味について (叢書 記号学的実践)

意味について (叢書 記号学的実践)

 

 

小説から遠く離れて

小説から遠く離れて

 

 

 

 

 

ですがここでは最も単純な図式を『心が叫びたがってるんだ。』にいれて考えていこうと思います。

王子様とお姫様を見送る少女

心が叫びたがってるんだ。』は少女・成瀬順が小学生時代に父と見知らぬ女性が山のうえにあるお城(=ラブホテル)から出てくるのを目撃するところから始まります。

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↑高校生になった成瀬順(出典:アニメ映画『心が叫びたがってるんだ。』

ここで成瀬は父親を王子様、不倫相手の女性をお姫様、母親を魔女というふうに昔話のキャラクターに代入し、妄想します。

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↑グレマスの行為項モデルに当て嵌めた図。

主人公は対象を欲望し、それを援助者や敵対者が手助けあるいは阻止します。主人公の行為によって送り手は対象を受け手に渡します。

つまり

父親が不倫相手を欲望し、母親はその欲望に対する障害です。しかし成瀬の無意識的な告発によって父親はお姫様と一緒になることになります。

ここで重要なのは援助者と敵対者は主人公の受け取り方に応じてどちらにも転化するということです。

成瀬は父親に「お前のせいじゃないか」と言われてしまいますが、成瀬は物語の構造上においては父親を冒険へと旅立たせる賢者としての役割を果たしているのです。

そしてこの父親と不倫相手の物語から成瀬は締め出されることになります。

以降父親は現れませんし、上記の行為項モデルは完全に変形されてしまいます。見送る=賢者=援助者の立場から一転して成瀬順は、主人公の役割を担うことになるのです。

偽装されたマイノリティ

durga1907.hatenablog.com

以前、うえの記事で挙げた偽装されたマイノリティである「中二病」「ドリーム・ソルジャー」を扱った作品『AURA~魔竜院光牙最後の闘い~』を折口信夫貴種流離譚の概念から見ました。

心が叫びたがってるんだ。』の成瀬順も偽装されたマイノリティ性によって主人公たる権利を得ている、と考えらえると思います。

たとえば『ハリー・ポッター』のハリーの額の傷は、悪い魔法使いヴォルデモートが放った死の魔法を母の愛が守ったというエピソードの痕跡・聖痕として機能しています。彼はこの傷によってヴォルデモートとリンクし、主人公として定立されるのです。

しかし、成瀬順は、もともと主人公という立ち位置ではありません。だからこそ自分が主人公であるために聖痕をつくらなくてはなりません。それが無口属性ということになるわけです。

無口属性の問題化

ここで傍流ではありますが、無口属性について。

無口属性で代表的なのは『エヴァ』の綾波レイ、『涼宮ハルヒ』の長門有希が挙げられるでしょう。両者はかなり人気です。そしておなじように活発なキャラクターがメインヒロインになっていることが共通している通り、無口属性のキャラクターがメインヒロインになるケースは少ないと思います。

もちろん『Darker than Black』の銀や『これはゾンビですか?』のユークリッドなど、メインヒロインになることはありますし、『涼宮ハルヒの消失』では長門有希が一時的にメインヒロインとして扱われます。

しかし無口属性のキャラクターがメインになる場合はいずれもその属性もしくはその原因が問題化されます。それはたとえば疾患のような扱いでです。

長門有希ならヒューマノイドインターフェース、銀ならばドール、ユークリッドなら異常な量の魔力という形で発話することの困難性が問題化されます。

成瀬はこの典型のようなもので、発話障害の解消が物語の対象になります。

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成瀬はこのように援助者の立場から主人公になります。

変形する行為項モデル

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(↑坂上拓実)

成瀬は歌を手段に発話を取りもどします。そこで歌を教える存在として坂上拓実が選ばれます。その過程で成瀬は坂上を自分の王子だというふうに、ふたたび昔話の役割に代入し、それをミュージカル上の配役と一致させます。

そこで上の定式は即座に変形します。

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成瀬がお姫様で、王子様が坂上拓実、それを見ているのが仁藤菜月というふうに物語はつくりかえられます。

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(↑仁藤菜月 手前の人です)

坂上と仁藤は中学生のときに付き合っていました。坂上の両親が離婚し、落ち込んでいたときに彼を慰めてあげられなかった仁藤は負い目から関係をうやむやにしてしまいましたが、依然として好意を持ちつづけ、田崎大樹に告白されても付き合っている人がいると断ります。仁藤と付き合っている坂上を、成瀬は自分の王子様に据えている。このことから上の図は、父親と不倫相手、母親の関係と類似していると言えます。

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(↑田崎大樹)

田崎大樹は野球部のエースでしたが、けがで休部し、音楽教師の勝手な人選によりこの四人を「地域ふれあい交流会」の実行委員に任命し、クラスで成瀬原作のミュージカルを行うことになります。

ふれあい交流会前日の準備中に、坂上と仁藤が昔付き合っていて今も思いあっていることを立ち聞きしてしまった成瀬は実は自分が主人公ではなく、敵対者である魔女だと気づいてしまい、山のお城に逃げてしまいます。ふれあい交流会当日、坂上は成瀬を迎えに行きます。

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成瀬の告白を拒絶し、それども和解し、学校へ連れもどし、舞台を成功させ、片づけのさなか田崎大樹は成瀬に告白し、顔を赤らめる成瀬。そして坂上は仁藤に告白しようとするも、中断され映画は終わります。

声・文字・身体から

ここまでは物語の大枠を見てきました。長編アニメーション制作の多くは集団制作で、脚本からつくられることが多く、表現を先に決めることは稀です。

あの今敏も脚本から先につくり、映像に耐えられるまでに練り上げていったそうです。

心が叫びたがってるんだ。』は脚本:岡田麿里の個性(サークル員によれば癖の強い)に監督・絵コンテ:長井龍雪が合わせているという印象がありました。

そこでみてきた物語がどのようにアニメーション表現と関わっているかを見ていこうと思います。

玉子と王子

成瀬の発話障害の原因となったトラウマにあたり、王子と玉子の類似をあげることができます。

口→食物・口→声

まず玉子は彼女の口を二重にふさぎます。

母親によって玉子焼きをつっこまれ、玉子の妖精によって口をチャックされます。

口→食物・口→声宮崎駿作品のおおきな主題で、『この世界の片隅に』にも表れていて、現在の日本アニメーションに通底する問題ですが(フランスの現代思想ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは舌、言語、食べ物の系列を指摘しています)『心が叫びたがってるんだ。』においては成瀬のメモ帳の中身や、暗い食卓が町会集金とのコミュニケーションの不可能と重なって描かれることから、同じ問題系を共通していることがわかります。

成瀬が声を発すると腹痛がするのは、まさに声と食物がつながっているからです。そして声は心につながっているのです。

声→食物→心という連鎖です。

たとえば宮崎駿は食べることを重要視し、ある時点から職業声優を起用しなくなります。それがどちらも「人間性」をキャラクターに付与するのを目的としていることは明白です。

もう少し詳しい話と『この世界の片隅に』に関してはドゥルガ一号に書いてます。http://ux.getuploader.com/durga_anime/download/2/

 

 

文字と音声

そこで音声は文字と対置されます。しかし対置といっても二分法ではなく、二つによって「心」を描いているのですが、しかし音声とは異なり、文字は画面内の表象、つまり絵です。

成瀬がメモ帳に書くのは買わなくてはいけないものと、レシピ、玉子の絵です。

これは前回のフーコーともつながると思いますが、カリグラフィーをしなくとも文字を絵とみなすことは、たとえば書道やフォントなど文字そのものを対象とした作品からもわかるように一般的な傾向です。

durga1907.hatenablog.com

そこまで考えなくても、文字は可視的ですが、音声は不可視的だと分けることができるでしょう。そしてまた身体は可視的心は不可視的なものであり、

心が叫びたがってるんだ。』ではまさに文字と声が一致する場もしくは文字が声になる場において心が表現されていると考えられます。

声が腹痛になったのとは逆に、身体が心に、文字が音声に。

坂上が歌う「玉子の歌」を聞いて自分の考えが読み取られてしまったと勘違いし、屋上に立つ成瀬の「心の中を見られてしまった」というモノローグと暗転の白文字の一致は切実な心内語として機能しています。

そしてこの一致は主にメールを歌にすることによって成功し、文字→声→心を叫ぶことができるようになるというわけです。

メール→歌・玉子→王子

そしてこの可視的な文字=絵は「王子」と「玉子」を混同させます。玉子が手のひらに示した「、」を隠すと王子になっているように、成瀬は王子を玉子だと錯覚してしまいます。舞台上で玉子の役を務めた田崎大樹が、最終的に成瀬に告白し、王子様になることを示唆して終わるように、玉子の声をした坂上を王子だと錯覚してしまいます。

グレマスの行為項がずれる原因は文字上のずれ、玉子と王子を取り違えることなのです。そのため本当に物語が欲望しているのはこのずれの解消ということになります。

坂上は文字上のずれとともに、音声上のずれも引き受けてしまいます。田崎は坂上のことを坂崎と呼びまちがえ、内山昂輝の声はナレーション、玉子、坂上とずれていってしまいます。DTM研の仲間が彼のことを、殻にこもったというのがそこではむしろ一般的な慣用句ではなく、字義通り玉子・王子の連関という殻にこもっていることを示唆します。

この文字のずれ・音声のずれを引き受けるからこそ彼は成瀬の打ったメールを歌に変換する役割を負うことになります。

そして成瀬が舞台に戻ってきてお姫様の声として登場するとき、彼女は心そのものになっていると言えるでしょう。身体であり文字、音声であり心です。しかしそれは依然として仁藤菜月と成瀬順の確固とした別の人物であり、歌は二重化するのです。坂上とは反対です。

固有名とキャラクター

 坂上は玉子や王子、坂崎など文字や音声の同一性によって自発的なキャラクターではなく、受動的な存在となっています。

彼は基本的に巻き込まれるだけで自発的に行動することはなく、アバターとして扱われます。アバターとは探偵小説やライトノベルに多く見られるワトソンやキョンのような役柄です。しかし坂上は前述のような他のキャラクターの声や田崎による名前の音の間違い、成瀬による偽の主人公への措定など様々な別のものとの同一性を与えられキャラクター化されていきます。たとえば玉子がはなす「君」と「黄身」、「王子がおじゃんになる」などの「王子」「玉子」のずれ、キャラクターを指示する言葉の対象がずらされることで。

私たちの共感を担うアバターでありながらキャラクターデザインされるアバターと言ってもいいかもしれません。すこし込み入った話ですが今度の文フリの雑誌に『冴えない彼女の育てかた』を対象にして書きましたのでぜひ。

そのような多様な同一性をもってしまうアバターが、確固とした自己を定立するのに、成瀬に名前を呼ばれる必要があるのです。

固有名は言語体系上で特異な位置を占めます。柄谷行人の『探求』の一つのテーマです。しかし固有名はここでは、むしろ同じ著者の「内面の発見」につながっていると思われます。

発見される内面

内面がもとからあるから告白するのではなく、告白しようとするから内面が発見されるという転倒によって近代的自我が生まれると柄谷は言います。

坂上は玉子や王子、坂崎ではなく成瀬順に「坂上拓実、坂上拓実、坂上拓実、坂上拓実」と呼ばれることによって固有の「坂上拓実」になり、玉子の変な臭いは腋臭という身体的な問題に回収され、彼の瞳からは涙が溢れるのです。そして彼は自分が本当の気持ちを伝えたかったけれど、それができなくなっていたのだと告白します。しかし、それはむしろこの場において初めて昔話の役割から逃れ、近代的な自我を形成したのだと考えることができると思います 

探究(1) (講談社学術文庫)

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定本 日本近代文学の起源 (岩波現代文庫)

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余談ですが成瀬が立ち聞きをすることによって『ここさけ』は動いていくのがここからどういう意味を持っているかわかると思います。

曲亭馬琴の小説論「稗史七則」のひとつ、「省筆」ではくどくど同じ話を繰り返さないためにその問題に関わりのある人物に立ち聞きさせておくというのがあります。『小説神髄』の坪内逍遥曲亭馬琴をきって近代小説を成立させようとしましたが、この立ち聞きは以降もなかなか根強く残っていて、自然主義がようやく脱して人間の「内面」を描けるようになったのだそうです。

それはまさに今まで見てきた成瀬と坂上の関係に類似した移行です。成瀬は徹底的に前近代的な昔話、おとぎ話の構造で他者と関わっていたところから、坂上の名前を呼ぶことで坂上を自然主義的な「内面」の告白をさせます。前近代から近代へ。山のお城が潰れて廃墟になっているのは象徴的な役割を果たしているのでしょう。

 

完本 八犬伝の世界 (ちくま学芸文庫)

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日本小説技術史

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うえにあげた渡部直己はナレーションや玉子、坂上拓実を務めた内山昂輝が所属していたゼミの先生ですね。

 

***

 

勉強会ではシンメトリーの構図や、電車、自転車、バス、車のCGを確認し、舞台と現実の描写の差異を見ました。

劇とアニメーションの立場から『ひなこのーと』や『クラナド』『結城友奈は勇者である』について話しましたが、『ガラスの仮面』をはじめ劇とアニメーションの主題は面白いと思いました。

また吉浦康裕『アルモニ』の装われたマジョリティとの対比を見たり、と間アニメーション性に触れました。

 

 

わたしがこの映画で最も好きなシーンは、表札が変わった玄関の扉が開いてゴミ袋を持った成瀬がカギを掛けようとして、やめて、髪を撫でながら、見上げると、風景を映すカメラが上昇して、タイトルロゴがインする、初めの場面です。

次に好きなのが、舞台の斜め後ろから見ているアングルで手前に人影がポーズを取っているところから仁藤菜月がスポットライトのなかへ登場するシーンと劇に戻って来た成瀬が歌いながら入場し、ステージに昇って、暗転するシーンです。

 

次回の勉強会は11月12日、『聲の形』です。

 

「心が叫びたがってるんだ。」オリジナルサウンドトラック

「心が叫びたがってるんだ。」オリジナルサウンドトラック