web版アニメ批評ドゥルガ

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アニメに纏わる記事を書いています。毎月第四水曜日に更新。担当者が異なります。

声だけの聖地巡礼―後藤明生「ピラミッドトーク」で幕張を歩く

椅子に座る仕事が連日続いていたのでそろそろ遠出したいと思っていたのですが、最近後藤明生の「ピラミッドトーク」を合評する機会があってちょっと歩いてみたいなと思ったので出かけることにしました。

 

首塚の上のアドバルーン (講談社文芸文庫)

首塚の上のアドバルーン (講談社文芸文庫)

 

 

短編「ピラミッドトーク」はこの『首塚の上のアドバルーン』の最初の一篇として収録されています。家になかったのでまず買ってからその足で出かけようと思ったのですが、近所の本屋を三軒回ってもなく、ブックオフにもなく、いちど新宿に出ることにして、そのあと二軒目の本屋でようやく発見しました。大して早起きだったわけではないのですでに正午を回っていました。三文の徳って本当だよなあと思いながら黄色い電車に乗ります。

マンションの14階に引っ越した語り手がその転居祝いとして、頂上を押すと女性の合成音声が時間を教えてくれるピラミッド形の時計、通称「ピラミッドトーク」を編集者の高田氏からもらうところから小説は始まります。ちょうど日航ジャンボ機墜落事故(1985年8月12日)が起きたときで、かい人21面相事件(1984・85年)の記憶もまだ新しい時代です。ちなみに初出は1986年5月号の「群像」なので、書かれた当時の時代の様相をある程度映していると言えそうです。マンションの場所は「そこの目の前の放送大学もベランダから眺めるだけ」とあることから幕張だとわかります(ちなみにそのあとの短編では地名が重要になっていくので「幕張」とはっきり書いてあります)。

小説のなかほどで、語り手はマンションを訪れることになった「吉沢氏」に電話で道順を説明します。これが一度では覚えきれないぐらい長く、ある意味詳しいといえば詳しいのです。

 

約半年の間に私は、何人かの来訪者に駅からの道順を電話で説明した。ほとんどが仕事のための来訪者で、すでに何度も会っている人々であったが、一度は説明しなければならない。電話は数日前のこともあり、前日のこともあった。電話の度に私の説明も次第に要領よくなってきたようである。 

 

というわけで、いま、後藤明生の案内音声にしたがって、駅から彼のマンションにたどりつくことを試みようと思います。

 

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各駅停車のみが停まる総武線幕張駅からスタートです。2017年のいま「幕張」と聞いたとき「幕張メッセ」「幕張新都心」といった現代的な街並みを思い出すことも多いと思うのですが、幕張駅から見える建物はどれも丈が低く、空が広いです。

 

国鉄の駅の南口、つまり海の方へ出て階段を降りて下さい。 するとタクシー乗り場があります。いつも二、三台停っていて、田舎ふうの中年の運転手が車の外で煙草を喫ったりしていると思いますが、そうです、もちろん乗る必要はありません。そのタクシー乗り場のすぐ前から商店街になっています」

 

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タクシー乗り場はありましたが、タイミングなのか時代の流れなのかタクシーは一台も停まっていませんでした。商店がまばらなので写真だとふつうの街路と違いがわかりにくいですが、たしかに商店街はあります。お昼時に南へ歩いているのでどうしても逆光です。

 

そうです、どこにでもある、古くさい田舎ふうの商店街ですが、とにかく道の左側を歩いて下さい。少し行くと電車の踏み切りがあります、そう、そう、京成の踏み切りです。 

 

「田舎ふう」かはわかりませんが、古いお店がそのまま残っているような印象はあります。

 

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京成千葉線の踏み切りです。総武線ほどではないにせよ古くからある路線のようです。

 

それを渡るとまた商店街で、間もなく歩道橋があります。旧千葉街道の歩道橋ですが、これは大して広くありませんし、登らずにそのまま信号で横断した方が便利です。 

 

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歩道橋の下の信号は「自動車専用」となっていて車両用の信号機と自転車用のレーンしかなく、「歩行者は歩道橋を通行してください」という看板もあったのですが、実際のところ信号を待っている人は普通の歩行者も多かったです。信号の方が便利なのは言う通りという感じがします。

 

そうです。それで、その一つ目の歩道橋が商店街の切れ目でして、そこを過ぎると、がらりと眺めが変ります。道幅が急に広くなり、ぽつんぽつんと喫茶店や食堂みたいなのがあったり、車のショールームのようなものやらマンションやらがあったりします。 

 

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確かに。

 

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写真だとわかりにくいのですが、中央に写っている建物に「放送大学」の文字が見えます。赤と白の鉄塔も放送大学のものです。

 

そう、そう、何だかとりとめのない、子供が画用紙に描いた地図というか、出来かけのニュータウンというか、そんな感じの風景ですが、とにかく、そのまま左側を歩いて来て下さい。そうしますと右手に真白い壁のバカでかいマンション、左手にバカでかいNTTのビルがあり、これまたバカでかい歩道橋にぶつかります。この二番目の歩道橋は登って下さい。

 

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「真白い壁のバカでかいマンション」「バカでかいNTTのビル」は見当たらない……時代が変わったんだろうか? でもこれは確かに「バカでかい歩道橋」ですね。

 

六車線で、中央に植え込みのあるかなり広い自動車道路ですから。そして、その歩道橋に登ると、そこから前方左手に、十八階建てのハイツが四棟、コの字形に建っているのが見えます。そうです、そうですね、色はダークグリーンということでしょうかね。

 

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んん……? コの字形のハイツは見えません。というか六車線なのかもわからないし、これは湾岸道路では……?

 

それで歩道橋を降りますと、左手は広い空地で、どこの土地なのかわかりませんけど、高い金網の柵がめぐらしてあります。その金網沿いに歩いて来るのですが、ところどころに車が停っています。本当はそこは歩道なんですがね、あ、そうか、吉沢さんは車は詳しかったですね。そうだな、乗用車が二、三台、それとライトバンみたいな車もあったかな、とにかく金網沿いに車が五、六台置いてあります。それで最初は、ひどい駐車違反だなと思っていたんですが、どうやら、そうではなくて捨てた車らしいんですね。そう、そう、粗大ゴミ、それですよ、まさに。粗大ゴミの車です。捨てるなら金網の中の空地に捨てればと思うんですが、入れないんでしょうね、おそらく。

 

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空き地ではなくて立派な施設が建っていますが……

 

それで、その金網の空地を通り過ぎると、もうすぐです。約百メートルくらいで、左側にこのハイツの入口があります。入口の門は道路に面してまして、建物は約五十メートル奥になりますが、入口を入って真正面の棟です。その真正面の棟の一番左端の、あれは何というのですか、玄関でもないし、ポーチというんですか、ちょっと出っ張った部分。そうです、その一番左手のエレベーターに乗って下さい。そう、十四階です。エレベーターは、各階の二軒専用式ですから、十四階で降りれば、すぐ左、いや右側かな。とにかく降りれば右か左かの二軒だけですから、すぐわかります 

 

以上で案内は終了です。

 

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それらしい建物にあたる前に京葉線の高架(ちなみに1986年3月開業)が見えてきてしまいました。「湾岸の向うの新国鉄京葉線は来春開通でしょう」という台詞があるので、幕張駅から歩いた場合は語り手宅→湾岸(湾岸道路)→京葉線、の順にならないといけないことになり、つまり行き過ぎたことになります。見事に失敗してしまったわけです。

何が悪かったのか。あとでストリートビューなども駆使して調べてみたところ、最初の自転車専用信号があった歩道橋を「バカでかい」「二番目の」歩道橋と考えれば辻褄が合いそうです。確かにその歩道橋があったのは「六車線で、中央に植え込みのある」道路でした。その先の左手に金網の柵のある空き地もありますし(放置車両はともかく)、道路に面したハイツもあって、そこが実際後藤明生が住んでいた場所であるようです。「一番目」の歩道橋は撤去されたのか、よくわかりませんが、あったとおぼしき交差点は歩道橋の跡どころか設置しうるスペースがありそうになく、道路も片側一車線だったので完全に気づきませんでした。「旧千葉街道」というところとかをヒントにしていればたどりつけたかもしれません。

こうして失敗してみて(ひどいレポートになってしまってえらい申し訳ないですが)思うのは、これまでの聖地巡礼は図像と地図に頼りきっていたというごく当たり前の事実です。言葉というものが不確かすぎるのです。地図を使うのは効率の問題なので措くとしても、アニメの聖地巡礼であれば対照する図像があるので、それと見比べて(あるいは思い出しながら)街を歩けばさしたる苦労はないし、「あっ、ここか!」と思う場所がいくつもあるかと思います。もとがただの言葉の場合はどうしても確信が持ちきれません。ひどい場合(たとえば今回のような場合)だと取り違えも起こるでしょう。

それにしても、実際に歩いて気づくのは、こんなにくだくだしい説明をしていながら道はものすごく簡単だということです。なぜなら一度も曲がらされていないからです。おそらく本当に要領のいい説明なら「駅の南口から1kmくらいずっとまっすぐ行くと左手に○○ハイツがあるのでそこの14階です」でも事足りそうです。すごく複雑そうな道をたどっていながら実は一本線だった、というのは、また『首塚の上のアドバルーン』を読み返した時に反映されるものがありそうです。

 

余談。

 

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京葉線海浜幕張駅。『Fate/staynight [Unlimited Blade Works]』で冬木市の新都として背景に使われたらしいです。Fateシリーズだと神戸にある赤い橋が聖地として有名ですが、土地性にこだわった一部のアニメをのぞく多くのアニメがそうであるように、現実の風景をつぎはぎ的にもってきてひとつの虚構都市を作っているわけですね。新都心という名前のとおりの現代的な街並みはたしかに作品と合致しているように思えます。駅周辺のマンションはどれも高くて、きっと三十年前といまとでは「バカでかい」の基準も違っていたんだろうという気がします(その辺も取り違えの原因である気もします)。

千葉だと『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』『きんいろモザイク』ほか多数聖地があるみたいですのでまたいろいろ行ってみたいですね。

 

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「ピラミッドトーク」では「人工海水浴場」となっていた幕張の浜。看板を見る限り「海水浴場ではないので遊泳禁止」であるようです。時代を経て方針が変わったのでしょうか。千葉のコンビナートから東京の湾岸の建造物、おそらくその先に川崎のコンビナートも見えました。スカイツリーや富士山もくっきり見えました。三浦半島は地勢的に難しそうではあります。

 

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首塚の上のアドバルーン』の首塚、馬加康胤(まくわりやすたね)の首塚と伝えられているという塚です。埋立地とはうって変わった傾斜地の中腹にあります。まわりもほとんど一軒家です。

 

というわけで年内の更新はおそらく最後です。どんな一年でしたでしょうか。アニメ的にどうだったのかというのは正直私にはわかりません。『けものフレンズ』が今年だったときいて驚いたくらいです。もうはるか昔のことのよう。

あんまり見てない人間が言うことでもないのかもしれないけれど、あとから見返したとき、もしかしたらそれこそ三十年後とかで、いま見ても面白いとか、こういう時代だったんだなとか、そう思えるアニメがいくつかでも残っていたら嬉しいなと個人的には思います。たとえば三十年前のアニメの聖地巡礼をして(よほどの物好きという感じですが)、虚構の風景と現実の風景のずれに気づくといった体験は、もしかしたら面白いのかもしれないと思います。

長くなりました。今年もドゥルガの記事を読んでくださり、まことにありがとうございました。よろしければ、来年もなにとぞよろしくお願いいたします。

 

 

*「ピラミッドトーク」からの引用はすべて後藤明生首塚の上のアドバルーン』(講談社文芸文庫、1999)によります。

*その他当時の出来事の年月日などはWikipedia等を参考にしたため、不正確な可能性がゼロではありません。申し訳ありませんが文献にあたる時間がありませんでしたのでご容赦ください。

 

(奈)