web版アニメ批評ドゥルガ

web版アニメ批評ドゥルガ

アニメに纏わる記事を書いています。毎月第四水曜日に更新。担当者が異なります。

噛みすぎてはいけない――『リズと青い鳥』について

誰が言い出したのか、いつからかオーボエは「世界一難しい楽器」として金管楽器のホルンと並んでギネスに登録されてしまいました。この説は昔吹奏楽部でオーボエを吹いていた経験がある人間としてもいまいちしっくりこないどころか、個人的には申告した人間が気難しかったんじゃないかとさえ思うくらいなのですが、もしオーボエが世界一難しい楽器であるゆえんがあるとするなら、それは同じ状態を管理することの難しさ、つまり楽器自体の気難しさではないかと思います。

木製の楽器に共通することですが、オーボエは水分や風、温度変化に弱く、いきなり吹くと割れるので、寒い季節は手などで少し温めてから吹きはじめます。気温や湿度によって、ケースから楽器を出して組み立てるときの、ジョイント同士をさしこむ手ごたえも変わります(オーボエ本体は三つの部分に分かれますが、それらをつなぐジョイントにはコルクが巻かれているからです)。さらに繊細なのはリード、口にくわえる消耗品の部分で、先端部分は葦でできた繊維質が透けるくらいに限界までナイフで削られているので、不注意で唇に引っ掛けたり、噛みすぎたり(唇の圧が強すぎたり)すると簡単に欠けて使い物にならなくなりますし、どれだけ気をつけて扱っていても気づくと先端が歯車の歯のようにでこぼこになってしまって以前のような音は出なくなってしまうのです。吹奏楽部に所属しているなら、どれだけ怠慢に練習していたとしても一、二ヶ月もてばリードの寿命としてはいい方でしょう。

オーボエ、それからファゴットも含まれるダブルリード属のリードは、二枚の極薄の植物繊維の板が管のようになって呼気の通り道を作っています。原理は草笛と同じです。そこで大事になるのは二枚の板の噛み合い具合、その二枚が作る空間の形です。端正な細いラグビーボール型のような形が理想ですが、どこかが潰れていたり左右非対称だったりすると最悪音が出ないこともあります。奏者はリードの湿り具合を舌や私物の水入れ(カメラのフィルムケースはサイズ的にたいへん便利です)で工夫したり、微妙な圧を指でリードに加えたり、内側の繊維を不用意に削りすぎないように頻度に細心の注意を払いながらリードの内部に掃除用の小さな羽を通したりして、薄く開いた二枚のリードのあいだを顕微鏡を見るようにのぞき込みながら、演奏時にリードが最適な状態になることをつねに考えているわけです。オーボエの演奏は、実はそうした神経質なまでの繊細さによってできているのです。

その繊細さの美学を、もし映画に落とし込んだとしたら。おどけたフレーズもこなすけれども、やはりある種の静謐さがひとつの本領であるこの楽器の音色にひとつの物語と色彩を与えるなら。それはやはり、『リズと青い鳥』のような作品になるのでしょう。

 

liz-bluebird.com

f:id:durga1907:20180514235806j:plain

オーボエ・鎧塚みぞれ ©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

 

響け!ユーフォニアム』のスピンオフであるこの作品は、しかしこれまでの『響け』本編とはかなり趣向を変えています。ユーフォニアム担当の黄前久美子の視点を中心にしたどこかスポ根のにおいがただよう群像劇としての本編に対し、『リズと青い鳥』では、オーボエ担当・鎧塚みぞれとフルート担当・傘木希美のどこか噛み合わないもろさをはらんだ関係、お互いがお互いに意識を向けていて、特にみぞれの希美に対するそれは限りなく依存に近いところさえあるいっぽう、二人は性格も感情の抱き方も異なっているというどこかひずみのある関係に焦点が当てられています。この記事の書き方に偏りがあるので言い添えなければなりませんが、オーボエのみぞれ視点というわけでは必ずしもなく、当然フルートの希美の物語でもあります。しかし、それ以外のキャラクターは、久美子や顧問の滝でさえ影の薄い脇役に徹することになります。

三年生になったみぞれと希美は夏のコンクールに向けて日々練習しています。その自由曲は「リズと青い鳥」という、同名の童話を題材にした楽曲で、そのハイライトにはオーボエとフルートが「リズ」と「青い鳥」を演じるかのように掛け合いをするソロがありました。二人はそのソロを吹くことになるわけですが、妙に噛み合いません。

映画本編は、学校生活と童話の世界が交互に進行していくような形をとっています。文字通り本当にほとんど学校のなかしか映らない日常生活のパートでは淡い青が全体を覆っているのに対し、日本のファンタジーアニメの文脈を想起させもする童話パートは、絵本さながらの色彩感にあふれています。音楽の付け方も根本から違っており、童話パートを彩るのはこれまでTVシリーズの劇伴を担当した松田彬人さんによるコンクールの自由曲のフレーズを思わせる音楽ですが、日常生活のパートに音楽を添えているのは、『聲の形』の牛尾憲輔さんです。そして、この映画が感情に迫ってくる要因の多くは、この牛尾さんの音楽、沈黙のなかに聞こえるものをすべて丁寧にすくいあげるような音楽によるものだと言ってもいいでしょう。

(音響ということで言うと、今回特に靴音は実に過敏なまでに丁寧に拾われています。革靴なのか上履きなのか、道を歩くのか、外階段なのか、廊下なのか、その違いが音響面で緻密に再現されています。山田尚子監督は足元のカットがあまりに多いことで有名で、今回も人物ごとに靴の扱い方まできちんと設定されているようですが(童話の主人公リズがベッドに入るときスリッパをきちんと揃えたのには驚きました)、この『リズと青い鳥』では足が立てる音というものを特に重視しているようです。それから、何かがこすれる音がよく聞こえるのも印象的でした。制服のスカートの衣擦れの音、楽譜のファイルをめくるときの薄いビニールの音、体育館で床とシューズがこすれる音。)

この二つのパートは最初こそあたかも別々であるかのように描かれますが、物語の終盤、一瞬だけ、童話の世界が現実に入り込んでしまったかのようなカットが訪れます。

 

f:id:durga1907:20180515000727j:plain

©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会

 

構図や、それまで青に統御されていた学校内のカットとは対照的な色彩がどのような象徴的意味をもつか、本編をご覧になった方は了解されるのではないかと思います。羽をもつ者ともたない者、そのアンバランスな関係の哀しさがこの一瞬に見え隠れするわけです。

ある少女二人の関係に焦点を当て、それを重層的に反復するところは、『響け』シリーズに共通する部分かもしれません。彼女たちはそれぞれが誰かにとっての「特別」になろうと願います(あるいは願わなかったりします)。このシリーズは「特別」という言葉に意味を負わせすぎるくらい負わせている気がしますが、『リズと青い鳥』においてもやはりみぞれが「特別」という言葉を口にします。本編では特にトランペットの高坂麗奈がよく使う言葉で、『リズと青い鳥』においても、高坂麗奈黄前久美子がフルートとオーボエのフレーズを遊びで練習するところに、フーガのような反復があらわれています。

そうした点だけでなく、あらゆるところで脚本にはゆるみがなく、どんな雑談もすべてあとで回収されてしまうような緊密なストイックさで全体が構成されています。そのぶれない軸を作っているのは明確なコンセプトであり、それが端的に表出しているのはタイトルよりも前に画面に映される〈disjoint〉の一単語でしょう。単語の成り立ちを汲みとれば「関節がはずれた(=out of joint)」というニュアンスが見えますし、辞書を引けば「…を支離滅裂にする」というような語義が出てきます(disjointedなら「脈絡がない」と訳してもいいかもしれません)。そして数学用語としては「(二つの集合が)共通の元(げん)をもたない、互いに素の」という意味になります。これが二人の関係性を示す明白なメタファーであることは監督自身も述べているとおりです。

最大公約数が1でしかない二人。歯車は噛み合わないまま、しかし噛み合っているような建前で、ここまで来たわけです。実に繊細微妙で、ある意味とても切ない関係性だということが強く示されているのでしょう。

と考えながら、以下余談になりますが、語学が好きな理系の友人にdisjointには「互いに素」の意味があるという話を雑談でしたところ、実は歯車というのは二枚の歯車の歯の数が「互いに素」である必要があるんです、と彼が言ったので私は面食らいました。どういうことかというと、たとえば十干十二支は60個の組み合わせがありますが、全ての要素を組み合わせるなら、10×12=120個の組み合わせがあるはずです。しかし、10と12は2という共通因数をもっているので(互いに素ではない)、必ず組み合わない組み合わせが存在するわけです(甲子、丙子…は存在するが、乙子、丁子、…は存在しない)。逆に二つが互いに素であれば、すべての組み合わせが存在することになります。このとき、歯車の場合では、共通因数があると常に同じ歯同士が噛み合って消耗に偏りが出てしまうのですが、歯数が互いに素であるならば、すべての歯が均等に噛み合って減り具合を減らすことができる、だから二つの歯車の歯数は互いに素でなければならない――というのでした。

もしかすると、disjointは必ずしも悲観すべきものでもないのかもしれません。噛み合わなかったからこそ、5年以上彼女たちは微妙な関係のままそれを維持することに成功したともいいうるわけなのです。

 

 

さて脈絡もなく関節の外れたような記事を書いてまいりました。「世の中の関節は外れてしまった」(The time is out of joint)という『ハムレット』の台詞(『絶園のテンペスト』で有名になりましたね)が頭から離れませんが本当に脈絡がないですね。

このブログの記事を書くたびに少し気がふさぎます。今まで京都アニメーション制作の作品の記事をこれ含めて四回私(奈)は書きましたが(別の担当者の記事も入れると五回のはず)、どうやっても上手くつかめる気がしません。もし何か書き漏れがあったときは、先月先々月の記事を書いてくれた担当者(中澤)がTwitterなり補足記事で足してくれるでしょう(と私は勝手に信じています)。映像面での批評はこのブログでは彼がいちばんでしょう。私はあんまり批評をやってません。

個人的なたいへん偏った『リズと青い鳥』の感想を蛇足のように足すと、昔オーボエを吹いていた人間にとってはとても魅力的でした。楽器の作画を担当されている高橋博行さんには頭が下がります(YouTubeでメイキングが見られます)。みぞれと希美の演奏を担当されている洗足音大の方の演奏にも言葉が出ません。単純な技術どうこうでなく、演奏が完全に演技になっていることに、楽器というもの自体の可能性を強く感じました。物語に合わせて演奏が確実に変化しています(「いまのピッチちょい微妙だったかな」というときのソロの掛け合いは本当に音程が微妙だったりします。終盤は言わずもがな)。それから、ダブルリード属の楽器の人物がこれからも露出が多いことを期待します。後輩の剣崎梨々花はいいキャラクターですね。コントラファゴットの子がいるというのはびっくりしましたが……

以前『劇場版 響け!ユーフォニアム』の記事で調子に乗って吹奏楽曲を紹介しましたが、今回はもういいですね。本編を見ていただければ、もう。

 

というわけで、「適当に読み飛ばしてください」と言うタイミングを失いましたが、長々と失礼いたしました。次はもっと短くなるようにがんばります。

では!

 

(奈)