web版アニメ批評ドゥルガ

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アニメに纏わる記事を書いています。毎月第四水曜日に更新。担当者が異なります。

「言葉の意味」の意味:なぜ外国語(なんか)をやるのか―『きんいろモザイク』#1から

自分がそのなかで生まれ育った言語、すなわち母語(≠母国語)があれば、それ以外の他者の言語(一般的に外国語と呼ばれますが、外国に存在する言語だけが母語と異なる言語であるとは言えません)も存在します。そのようなもともと自分のものではない(なかった)言語と、ひとはどのようにつきあえばいいのでしょうか。

おそらくそれはあまりにも多様で、概括することはおよそ不可能です。では範囲を狭めてみて、虚構のなか、たとえばアニメのなかで、外国語(本当は日本のアニメの場合なら日本語(共通語)以外の言語、としたいのですが、あまりに煩雑なので多少の語弊を承知で以下「外国語」とします)はどのように扱われているのでしょうか。

これも、たくさん例をみるほかないと思うのですが、ここではまずその思考の端緒として、あるいはテーマそのものに対する反例として、『きんいろモザイク』第一話を取り上げてみたいと思います。

 

 

きんいろモザイク』は、金髪少女が大好きで外国に憧れのある忍、日本が大好きなイギリスの金髪少女アリス、忍の友人の綾、同じく陽子、アリスの友人で日本人とイギリス人のハーフのカレンの五人の高校生活を主に描いたアニメです。「日常系」と言って間違いないと思います。ずいぶん前にこのブログで紹介しましたが、最近サービスが開始されたアプリゲーム『きららファンタジア』にも配信当初から参戦しています。

第一話で語られるのは、これから続いていく日常のプロローグとなる物語です。まだ中学生だった忍が、イギリスのアリスの家にホームステイすることになります。アリスの母は日本語も流暢に話せるのですが、のちに日本語をペラペラにして日本にやってくるアリスはまだほとんど日本語がわかりません(「こんにちは」「ありがとう」くらい)。忍に至っては「ハロー」以外の英語はまったくしゃべれません。「Thank you」も言いません(必ず「ありがとうございます」と言います)。彼女は物おじせずにどの場面でもほぼ日本語で話します。

したがって二人のあいだでは、少なくとも表面的な意味で言葉は通じません。しかもアリスはたいへんな人見知りだったので、忍とあまり話そうとしませんでした。一方忍は積極的にアリスに話しかけようとします。ある日、飼っている犬と一緒にアリスが外で遊んでいるところを見つけた忍はそこへ駆け寄っていきます。しかし犬が逆に忍へ駆け寄っていって、忍は水溜りに尻餅をついてしまいます。そうして忍はアリスに服やピンクの上着(おそらくセーター)を借りるのですが、そこで忍はその貸してくれた「お礼」を言おうと、借りた上着を羽織ってアリスの部屋へと向かいます。

忍は「ハロー」と言ってアリスの部屋に入ってきます。(英語は音声、≪≫はそのとき画面に出る字幕です)

 

忍  :(上着の肩の辺りを触りながら)これ、ありがとうございます、とっても暖かいです!

アリス:Arigato...Thank you? ≪ありがとう?≫

忍  :はい、ありがとうです。

アリス:Aren't you mad at me...? ≪怒ってないの……?≫

忍  :はい、とても暖かいです!

 

言葉は噛み合いません。二人の会話は妙にちぐはぐなまま、しかしこのことをきっかけに二人は仲良くなっていきます。ホームステイ最終日の前日の夜、アリスは忍の部屋を訪れます。

 

アリス:Can I sleep next to you? ≪一緒に寝てもいい?≫

忍  :ハロー!

 

アリス:What is Japan like? ≪日本ってどんな所?≫

忍  :ジャパン……日本? 日本はいま朝ですよ。不思議ですよね、ここはまだ夜なのに、もう太陽が昇ってるんです。なんだか私たちだけ、世界のはじっこに置いてかれてしまったようです。ふふ、こういう話は綾ちゃんが好きそうです。あ、綾ちゃんというのは……

アリス:(ひとりごとで)I hope I will visit Japan...some day. ≪いつか行ってみたいな……日本≫

 

やっぱり忍は英語をしゃべらないので(悪意からというより忍があまりにも天然すぎるということだと思うのですが、とりあえずアリスの言語すなわち英語に歩み寄らないのはどうなんだろうというのはここでは措きましょう)、会話は文字起こしをするとものすごくちぐはぐなことになります。しかし本編を見る限り、コミュニケーションが成り立っていないかというと、きっとそうではないと思うのです。彼女たちは言葉の外側、意味の外側で会話を成立させています。

そのことがもっとも端的にわかるのは、ホームステイの最後、忍がアリスの家を出発する場面です。淋しさを少し抱えながら、忍は車に乗り、アリスは家の前で見送ります。文字起こしした台詞では本当に伝わりにくいかもしれないのですが、想像で補っていただければ幸いです(できれば本編を見て下さるとありがたいです)。

 

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忍  :ハロー!

 

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アリス:Ko...Konichiwa---!!

 

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忍  :ハロー! ハロー!!

アリス:Konichiwa---!!

忍  :ハロー!!

アリス:Konichiwa---!!

 

二人が叫ぶのは出会いの挨拶であって、別れの場面で使うものではありません。だからここで重要なのは「Hello」「こんにちは」の本来の使い方や意味などではなく、本人たちが実際のところ何を伝えあっているかという、本来の意味とずれたところ、あるいはまったく関係ないところに存在しているものです。それを決定しているのは、おそらく文脈ではないかと思います。

単語の意味をすべて無視したコミュニケーションは成り立たないのかもしれませんが、それでも、言葉が伝達するものを決めているのはほとんど文脈なのではないかとときどき思うことがあります。たとえば、最近とみに使われだしたスラング「マジ卍」の意味を専門家が決めかねているというニュースのなかで、「マジ卍」の意味を訊かれた女子高校生が「意味なんてない。卍は卍。あるのは感情だよ」と答えたといいます*1。おそらく「マジ卍」に関しては文脈から切り離して意味を決めるのは無理なんだと思います。意味が決められないというのと意味がないというのが違うから専門家の方々は頭を抱えているのでしょう。こういったことは「マジ卍」に限った話ではなく、「やばい」「いみじ」といった特に強調語で以前からよくあることでしょうし、「言葉の意味」というのは簡単に、すくなくとも言葉で決めきるのはほぼ不可能なのではないかと思うのです。そう考えていくと、外国語というものに対する捉え方も微妙に変わってくるのではないか、とも思います。哲学や言語学の畑の方ならもっと深く考えている方も大勢いらっしゃると思いますのでこのあたりでやめますが、『きんいろモザイク』一話を観て思うのはそんなことです(変に思考をこんがらがせるくらいなら単純に見ればいいのかもしれませんが)。

 

今年はこういう、母語、日本語(共通語)以外の言語もはらんだ作品について、いろいろ見ていければいいなと思います。着地点どころか出発点もわからないような状態なので何かいいことが言える自信もあまりないのですが(上の『きんモザ』についてもまだ言えそうなのですが袋小路に入りそうで…)、とりあえず見るだけ見ていこうと思います。

気になっているのは、ドゥルガ二号で扱った『たまゆら』や以前の記事で取り上げた『ARIA』の佐藤順一監督がスタッフとして携わり、パリを舞台に日本少女が活躍する『異国迷路のクロワーゼ』(だから日本人のほうがカタコトだったりするのです)、主人公が他者の星の言語を少しづつ得ていく様子も描かれる『翠星のガルガンティア』などです。それから次の四月から放送予定の『ゴールデンカムイ』も楽しみです。まさか深夜アニメでアイヌ語が流れる日が来るとは。

日常系のくくりでは、夏に読書会を行った『映画けいおん!』が海外(ちょうどイギリス)に行く話でした。あのなかに出てくるイギリス人はネイティブの英語ですが字幕はありません。キャラクター達もあまり英語を理解できません。絶対的にわかりあえない他者が存在しないということがなかば暗黙の了解になっている日常系空間を少しだけ食い破っているようにも感じられます。

方言、というところまで拡張すると『咲-saki-』は面白いかもしれないと感じています。全国の都道府県の人物が登場するのに、方言を使うキャラクターは限定されているんですよね。

 

きんいろモザイク』は目の前にあるのがどうしようもなく現在なのになぜか「思い出」の存在を強く意識させる不思議な作品でもあります*2。日常系と時間・記憶の話はこれまでしつこいくらい書いてしまったような気がするのですが、気になったたびごとにまた何か言えればいいなと思います。

 

長くなってしまいました。それでは。

 

 

*画像はdアニメストアからのものです。

*1:毎日新聞、「マジ卍:意味や流行の起こりは? 専門家も「?」」2018年1月9日、

マジ卍:意味や流行の起こりは? 専門家も「?」 - 毎日新聞

*2:原作の最新8巻の初版には「おもいではぜんぶきんいろ。」と書かれた帯が巻かれていて、アリスたちが紅茶にマドレーヌを浸して食べるんじゃないかと心配になった、というのはただの悪い冗談です。